大鏡:其01

雨林院の菩提講

雨林院の菩提講に参詣したところ、異様な感じのする老人二人と老女が出会って座っていた。老人の一人は「世継」といい、その翁が言うには「自分が見てきたこと、そして全盛の道長公のことなどを語り合いたいと思っていたら、あなたたちに会えたので年来の望みが達せられそうだ。これで冥途へ旅立つことができそうだ。」

もうひとりの老人の「繁樹」が「忠平公が蔵人少将のときに小舎人童だった大犬丸です。あなたは宇多天皇の皇太后宮の召使の世継でしたよね。私が子供の時にあなたは25、6歳だったじゃないですか。」

  • 補足
    宇多天皇が即位したのは887年で、崩御が931年。
    藤原道長が死んだのは1028年のこと。
    忠平は道長の父・兼家、祖父の師輔の父だから曽祖父になる。

若侍登場

としのころ、30歳くらいの侍ふうのものが「お年はいくつですか?」と聞くと世継は「今年で190歳になります。だから繁樹さんは180歳ぐらいでしょう。私は清和天皇が退位した年に生まれました」

侍は繁樹に向かって「お年を教えて欲しい」というと繁樹は「養父が市場に行ったとき愛らしげな乳児を抱いていた女が『手放したい』というので持っていたお金で赤ん坊の私を買ってきた。こんなわけで養父に育てられ、忠平太政大臣のお屋敷に奉公に上がることになった」と語った。

若侍の相槌

世継が「昔の話でもしましょう」というと、ひときわ目立って侍が熱心に聞き取ろうとして相槌を打つのであった。

世継の翁の語り

昔の賢い帝は国中の高齢の翁や嫗を探して昔の様子を聞いて斟酌したという。それだけ老人はありがたいものとして考えられていた。

世継の口調が改まる

「道長公がずぬけて様子がすぐれているので、その話をしようと思うのだけれど道長公以外のことから語らないとならない」とわざとらしく言うものの、どれほどのことが言えるものかと思って聞いていると聴きごたえのある話を続けた。

「摂政・関白というとみな道長公のように優れていると思うでしょうが、そういうことでもない。血統が同じでも家門が分かれてしまうと気構えも別々になってしまう。天皇は神武天皇を始めとして今上天皇まで68代(後一条天皇)になっているけれど、文徳天皇(55代)から始めようと思う。文徳天皇から今の帝までで14代で176年ほどになっている」といって話し続けた。

  • 補足
    現在、栄華を極めている道長の絶大な運勢は何に由来するかを探究することとなる。
    藤原氏と皇室の関わりは深い。
    そこを説明するために文徳天皇から話が始まる。