荘子を考える:斉物論《其の10》

故有儒墨之是非:故に儒墨の是非有り

以是其所非 而非其所是:以て其の非とする所を是として其の是とする所を非とす

欲是其所非而非其所是:其の非とする所を是として其の是とする所を非とせんと欲する

則莫若以明:則ち明を以てするに()くは()

言葉は音ではない。意味がある。道は唯一つの真実であるはずなのに真実と虚偽が生まれる。言葉は素朴で真実の吐露のはずなのに善悪が生まれる。

「道は小成により、言は栄華による」

「道理」はたった1つの真実であるはずなのに相対的価値を生み出し、言葉は単純素朴なはずなのに虚偽善悪を加飾できるようになった。

儒家と墨家(墨翟(ぼくてき)・墨子の名前)は、相互に相互の非を是とし、是を非として論争に勝とうとしていることにより双方ともに真理の「解明」には程遠くなっている。

こうした論争から、優劣・勝ち負けにこだわるようになり言葉の修飾がうまれ、虚や偽を含むようになる。

  • 墨家(ぼっか)は、中国戦国時代に活躍した、墨子を始祖とする思想家集団。
  • 一種の平和主義・博愛主義を説いた。儒家に匹敵する最大勢力となって隆盛したが、秦によって戦国時代が終わってからは消滅した。
  • 守備していた城が陥落した。その責任をとって墨者400人が城中で集団自決したという。
  • 墨家集団は宗教教団的色彩をも帯びていたと考えられている。

道理」と「認識」に乖離ができる。そこから生まれる論争は、(ひび)きとなり、偏見と倨傲(きょごう)、独善と恣意によって生まれる。

ものごとの「道理」には真偽などあるはずがないのに人間による価値的偏見によって真偽の対立が生まれる。

認識」には、人間の虚栄や文化的背景によって是非の対立を生じている。需家と墨家の論争は、あたかも雛の鳴き声にも似て主張だけの(かまびす)しさだけになっている。