「三行で撃つ」を読んで
著者は「近藤廉太郎」さんという人で朝日新聞の記者をしていたとのこと。
いまは、九州で鉄砲撃ちと百姓をしながらライティングもし、文章塾もやっているという自称「多忙・多才」な人のようです。
「自分独自の感性で世界を切り取れ」ということに尽きると思います。「うまい」文章よりも「いい」文章を書く。そのためにも独自の視点が不可欠です。
俗に漢文の絶句などで「起承転結」と言われますが、頼山陽が弟子に教えるとき、
起: 大阪本町 糸屋の娘
承: 姉は十六 妹が十四
転: 諸国大名は 弓矢で殺す
結: 糸屋の娘は 目で殺す
「起」で事実を述べる。「承」で、その事実を補足する。「転」では、事実とは関係のない事柄で驚かす。「結」で「起承」と「転」をまとめてフェードアウトするように作るのだそうです。
著者は、中でも一番重要なのが「転」だといいます。なんで娘の話から大名の殺し方になるのか? 「あれっ」と思ったところに「娘が目で殺す」と落とすのが文章の「妙」なわけです。
人の書いた文章なんて誰も読みたくはない。なのに、どうしても読ませようとするなら、最初の3行が勝負だといいます。最初の3行はボール球でいい。ビーンボールを投げてのけぞらし、そのあとでストライクを取りに行けと叱咤します。
これはコピーライティングでもしつこく言われていることと同じです。
以下、要点
「最初の1文は長くても3行以内に書く」
例として「吾輩は猫である」「木曽路はすべて山の中である」が挙げられています。後者の島崎藤村の「夜明け前」の清涼な無色透明な感じからすると、この本はいかにもな感じではあります。
「常套句、オノマトペをなくせ」
文章は自分だけの言葉で書き出し、書き尽くせとのこと。常套句を使っているようでは物書きとして確立はできない。
「うまい文章ではなく、いい文章を書け」
いい刀は、いい鞘に入っているものである。
よく切れても、抜身の刀では危なくてしょうがない。
「起承転結」
いかに転がすか。転がし方の方策として5つのやり方が書かれている。しかし、これを使えば「常套的」の型にはまってしまう気もする。
「言葉にならない思想は存在していないのと同じ」
心からの尊敬も感謝も、言葉にしなければ伝わらない。ま、特にテレワークの時代は、ますます、そうなりますね。
「凡人は習慣で天性を作り上げる。習慣は第二の天性だ〈キケロ〉」
人が毎日続けることができるのは「習慣」にしているから。継続するたった一つの方法が「習慣」にするということ。
そのためには一日15分以上かけてはいけない。
「下手な鉄砲でも鴨が多ければ当たる」
とは言っても、鴨の飛ぶ先の空間を打たなければ当たらない。
下衆な話題にもり上がっているとき、そのちょっと先を狙ってみる。
「ナラティブ(narrative)」
「語り口」のような意味。例えるなら、古典落語。話は同じなのに語り手によって味が変わる。それがナラティブだと著者が言う。「陳述の力」
文章で言うなら文体でしょうか。強烈な樋口一葉の書き方などは、誰も真似ができない。
「グルーブ(groove)」
著者は「高揚感」としています。マイルス・デイビスとミルト・ジャクソンの共演で「バグスグルーブ」というのがあり、マイルスの演奏では一番好きです。まさに「ナラティブ」がある演奏です。
「文字化すること」
書き言葉は読み手がいなければ意味を発揮できない。思いを伝えることができない。
読んでもらえなければ、存在していないのと同じこと。ここをしっかり意図しなければ徒労になる。
文字化するということは、見えないものを読めるようにすること。
世界を自分なりに切り取るということなのだ。