人工子宮と倫理問題
人工子宮は超未熟児に子宮に似た環境を提供する医療機器のことだそうだ。これまでに何百頭の子羊でテストしてきた。
極度の未熟児の生存を難しくする主な要因の1つは、肺の発達である。人工羊水を肺に充たし、臍帯の血管に人工肺を循環して酸素を送り込むことで、子宮と同じような環境を再現できる。
このような研究は各国でも行われていてシノギを削っている。
羊の胎児でのテストでは、良好な結果が得られている。アメリカではFDAの許可がなくヒトでテストすることは出来ない。
妊娠22週か23週で生まれてしまった乳児で、他に治療の選択肢がない場合にのみ使われることとなる。
2013年から2018年までの間に22週の赤ちゃんの生存率は30%だったが、23週になると56%まで増加している。ただし、生きながらえても神経発達障害、脳性まひ、運動障害、聴覚障害などの障害を負うリスクは高い。
さらには、脳出血のリスクもある。脳が未熟であることが原因である。抗凝固剤を使用するとしても、そのことが脳出血のリスクを高めてしまう。
赤ちゃんを完全に子宮の外で育てられる可能性があるのかに対して、「きっとない」というのが答えのようだ。
第一に、胎児の発育は注意深く仕組まれたプロセスであり、妊娠中の親の身体と胎児との間の生物的・化学的なコミュニケーションに依存していること。
第二の問題は大きさ。現在開発されている人工子宮システムは、医師が乳児の臍帯に小さなチューブを挿入し、酸素を含んだ血液を送り込む必要があるが、臍帯が小さければ小さいほど難しくなる。
そして、技術が完成しても、法的にも倫理的にも問題が含まれるのは、先進医療の宿命。