人類が滅亡しない理由とは

われわれは、石器時代からの感情と、中世からの社会システムと、神のごときテクノロジーをもつ

(エドワード・O・ウィルソン『人類はどこから来て、どこへ行くのか』2頁)

ヒトの本来的な能力や性質は、「石器時代」からさほど変わってはいないとしている。旧石器時代で200万年前。新石器時代でもせいぜい1万年。ネアンデルタール人が絶滅したのが3万年ほど前と言われており、そのころには現生人類も共存していた時期もある。

となると、おおよそ3万年くらいの間に、ホモ・サピエンスとして生物上の進化がどれだけあったのだろうか。「進化は脳の内側から外側に進んだ」としているけれど、この3万年の間にどれだけ前頭前野と頭頂葉下部の皮質が発達したのかについて書かれた本は、まだ見つけていない。

しかし、この3万年くらいの間に革新的な飛躍があったようにも思われない。ということは、基本はそんなに変わらないのではないかと思う。少なくとも縄文人の子供を現代に連れてくれば、全く違和感なく現代人になることができるはず。

「神のごときテクノロジー」といったところで、先端のテクノロジーを作り上げるのには「神がかり」が必要かもしれないけれど、使うだけなら縄文人だって現代に生まれ育てば、対応は全く問題ないと思う。

ネアンデルタールが、なぜ突然絶滅したのかは知らないけれど、適応できなかったことは事実。一説ではネアンデルタールに限らずホモ・サピエンスが他のホモ属を撲滅したという説もある。真偽はわからない。

ホモ・サピエンスが飢饉や疫病や戦争や原爆などを経ても、いまだに生き残っているということは「適者生存」しているわけで、チンパンジーが生存しているのと同じ理由による。

人類が滅亡しない理由は、単に医療やテクノロジだけのことではない。80億人もいる人類のすべてが、人生に絶望していないことが大きい。ちなみに、チンパンジーが脊髄を損傷して寝たきりになっても、自然の中では生存できないが、研究機関では生存できる。

重要なことは、寝たきりの環境になって床ずれが出てもチンパンジーは絶望しないのだそうだ。

絶望するのは先進国の現代人に特有な傾向で、そうした国々の多くは少子化も進みだしている。

人類の滅亡は、「絶望」するかしないかにかかっている。「感情」「社会システム」「テクノロジー」が福音なのか、絶望への道しるべなのかはわからないが、ホモ・サピエンスが「動物」であることから超越しようという思い上がりが、結果として絶望を増大させるのかもしれない。