卑弥呼の墓と言われるお墓

福岡県田川郡にある赤村に前方児円墳のような森があって、以前から卑弥呼の墓と言われている。タケノコを掘ると土器が出たりしている。

正式な発掘調査をしていないが、自治体の文化財担当者らは一様に、丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定しているのだそうだ。

卑弥呼が死んだのは247年で、奴婢百余人を殉葬したとのこと。

前方後円墳

大和地方の纒向(現・奈良県桜井市)に巨大都市が出現し、纒向型前方後円墳が築造される。3世紀後半には一つの画期として最古の前方後円墳とされる箸墓古墳を築造する。これをもって古墳時代の始まりとする。

とあり、大和地方から始まったとするなら福岡県の前方後円墳が卑弥呼の墓とするには無理がある。正式な発掘調査をしてみればいいように思う。

京都の国立博物館の東側にある豊国廟の山頂で明治30年に甕に入っていた人骨が発掘されている。それが秀吉の骨とされているが詳細な調査はされていないようだ。ぼろぼろと崩壊してしまった人骨を再度、山頂に改葬したとのことであるが、その後、どうしたのかは不明。

加藤嘉明にあげたとされる秀吉の歯から血液型がO型だったことが分かっているのだそうだ。徳川の時代になって豊国廟は放置され、明治になるまでほったらかしにされてただの山になっていたそうだ。

福岡県田川郡赤村の「卑弥呼の墓」も決着をつけたほうがいいのか、ロマンとしてそのままにしておくのがいいのかは微妙なところだ。