国葬が持つ問題とは
今朝、道を歩いていたら蔵前神社の掲示板に、
四方(よも)のくに むつみはかりて すくはなむ さちなき人の さちをえつべく
という貞明皇后の歌が貼り出してありました。
この貞明皇后が昭和26年5月17日に亡くなると、戦前なら躊躇なく大喪儀となるところですが、敗戦後の日本においては「国葬令」は失効していたので、さて、どうしようとうことになったそうです。
この時点では日本は占領下にあり、日本国として独立していたわけではなく、主権が回復するのが1952年4月28日からというタイミングでした。
吉田茂としては「占領下であるため国葬を望まぬ」という意向だったそうで、国葬にはしない(内閣の予算ではやらない)が、内廷費(皇室の私的予算)にもせず、宮廷費として皇室の公的行事にするという方針になる。
この時点で与野党間で国葬法についての動きが双方にあったものの「誰」を対象にするのかの論理的根拠が難しく尻つぼみになったのだそうです。なぜなら、戦前なら「皇族」と、天皇の「特旨」によって決められた人を対象にすればよかったのですが、内閣が決めて国費を使うとなると、選定は簡単ではないわけです。
ということで貞明皇后は国葬ではなく宮廷費で支弁されたわけですが、その時の与党の宰相であった吉田茂が16年後に国葬になるわけです。ときの大蔵大臣も野党の質問に対して「何らかの基準というものをつくっておく必要がある」と答弁していますが、今に至るまで「基準」は作られず総理大臣の「思いつき」というか強権発動的というか、明確な根拠を示すことなく国葬が決まりました。
総理大臣の「思いつき」はあったかもしれませんが、それには法的な背景や歴史的背景を考えたうえでのことではなく、結局は官僚の忖度があってのことと思うのですが、終戦直後であっても政治の質は今に比べて遥かに高い視点からのやり取りがあったものだと感心した次第です。
是非を調べると国民の意向としては賛否が拮抗している感じですが、それは安部さんがどうこうということではなく、やはり国費で賄う国家的祭礼である以上、明確な「基準」が必要だということに尽きるのでしょう。
ともかくとして、総理大臣の国葬は「伊藤博文」「山県有朋」「松方正義」「西園寺公望」「吉田茂」に「安倍晋三」が歴史に名を残すこととなりました。