引用と著作権
Markdownにも、WordPressのブロックエディタにも「引用」と言う機能があります。しかし、それは機能のことであって権利として引用できるものであるかの尺度を示してくれるわけではありません。
では、引用の対象とできる範囲については、いくつかの要件があるようです。これも公開された記事からパクって書いていますが法律のことだし、自分の勉強のためですから許容される範囲だろうと勝手に考えています。
■公開されていること(つまりネットに上げれば公開されているわけです)
■引用している部分を明確に示すこと
■引用文を「従」にすること
■出どころを明示すること
■改変してはいけないこと
などが要件として挙げられています。
原文が冗長だと要約して使いまわししたいのは仕方がないと思うことは多々あります。
そもそも、「知識」とはなにかといえば、一つには「蓄積」であり、もう一つは「共有」だと思うのです。我々が日本語を話したり書いたりできるのも、奈良平安からの蓄積と共有を前提に文化を進めてきた結果として現在があります。
何かを書こうとした場合、自分のオリジナリティの範囲でしか書けないとすると、大方のネットの記事は平板でつまらないものになるでしょう。だれしもがクリエイティブな訳では無いですし、仮にオリジナルを書いた人の文章が冗長で分かりにくければ端折ってわかりやすく伝達することに価値があると思えます。
ポイントは他人の著作物を使って営利行為をしている場合だけじゃないでしょうか。営利価値がない使用場面でも、権利(知的?)を侵されていると感じた原著者は個別に告訴していく以外にないような気もします。
公開するということは、そういう権利侵害はつきものと思うほうがいいように思うのですが、それは、こっちの理屈であって、そっちやあっちの理屈は別にあるわけですから人の世は難しいものです。
いくつもの法律事務所から著作権についての記事がたくさん出ていますが、結局は「正当な範囲内」という曖昧なところが落とし所のような気がします。だから裁判が必要で弁護士が必要になるわけです。
著作権も原作者死後70年が保護期間だそうです。ということは1952年に死んだ人の著作物がやっと著作権から解放されるのだそうですが、「70年」にする目的が不明です。誰のために、何を守ろうとしての「70年」なのか?
MS-DOSだって、1981年ですからまだ40年です。