形式知と暗黙知

今から10年以上前くらいに「ナレッジマネジメント」という言葉と同時に「形式知と暗黙知」という言葉がはやったような記憶があります。どういう文脈で使われていたのか詳細な記憶がないのですが、ポイントは属人化している暗黙知を形式知、つまり文字(マニュアル)にするというような文脈だったように思います。

ナレッジとは「knowledge」のことで、単に「知識」のことと思いますが、カタカナにして日本流に使いだすと意味解釈が付加されることもあって、暗黙知のマネジメントのような意味合いで使われるようなこともありそうです。

荘子に「輪扁」という寓話があって、斉の桓公(在位:前685年 - 前643年)が読書をしているところに車大工が仕事をしていて、車大工が何の本を読んでいるのかと尋ねると、昔の偉い人の教えを学んでいると答えると車大工は「そんなのは、いにしえの聖人の魂のかす」という。

車大工に言わせれば「車の軸はきつくてもゆるくてもダメでちょうどいいという加減は文字に表せない」という。つまり、仕事には加減という「暗黙知」によって、つつがなく動いている部分が世の中にはたくさんあるということになります。

ありていに言うなら「逆(さか)上がり」を文字化できるかということになります。つまり、暗黙知は形式化できないゆえに「暗黙知」であるわけです。

昭和のころのことですが、モチベーション調査をしたことがあります。その調査の要点は、「職務」「上司」「職場・同僚」「コミュニケーション」「ビジョン」「待遇」のような切り口からの調査になりました。モチベーションに大きな影響を持つのは「職務」ですが、「直属上司(ミドルマネージャ)」の影響も少なからずありました。

令和の職場としては、どうやってモチベーションをあげていくかということになりますが、キーワードは「共有認知」に行きつきそうです。これはどういうことかというと、形式知もさることながら暗黙知をいかにしてチーム内で共有していけるかがマネジメントの要諦になりそうです。

チームにはリーダー(上司)がいて、チームには与えられたミッションがあって、そのミッションに従って個々の職務があるわけですが、チームミッションに対して、どこまで到達しているか、そのために個々の職務がどのような役割を持っているのかを、リーダーがチームとして共有させていく力があるか、ないかでモチベーションに大きな影響が出てくるようです。

そこがうまく機能していないと軋轢や対立が生まれたり、やる気に影響が出るようです。形式知の共有はさほど難しくはないと思いますが、暗黙知を共有していくことが重要な要素であることは、なんとなくわかる気がします。いずれにしても、チームである限りリーダー次第によることは免れようがありません。

たわごと

「配慮」によるモチベーション高揚策は、効果に限界があります。適切なら鉄拳制裁のほうがモチベーションを上げることができることは想像に難くありません(科学データはありませんから主観です)。

昔のオヤジは、子供叱るときにグタグタ説明せずに拳骨でした。今の親は、子供を諭そうとする。この違いだけではないと思いますが、戦前と戦後の家庭の雰囲気の違いが、このあたりにありそうです。

ある少年鑑別所の所長(文学博士)がオフレコで言っていましたが、子供の非行の影響の一つに母親の高学歴にあるとのことでした。

中学校時代の思い出として、先生からよくビンタを喰らっていました。女の子でも宿題忘れるとビンタ喰らっていましたけど、今なら大騒ぎです。