「徒然草」の108段

寸陰惜しむ人なし。これ、よく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しと言へども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の、一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。

されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を惜しむべし。もし、人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか営まん。我等が生ける今日の日、何ぞ、その時節に異ならん。一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。

108段についてはネットにたくさんの情報が上がっていますので、そちらを参考にしてください。

無益な時間の過ごし方と言えば最たるものがインターネットとテレビでしょうか。基本は受動的に過ごす時間は無駄が多いと言えそうです。

天下国家を論じることも無駄です。何を考えたところで天下はいささかも変わりません。粛々として、そして平然として悪事を働いたとしても逮捕捕縛されることがないのが権力者の特権で、このことは世界各国、いかなる時代であっても全くと言っていいほど変わることはありません。

だからいかなる宗教であろうが思想であろうが、団体と名が付き多くの人員を抱えていれば接近をし愛想を振りまくことは、躊躇することのない営業行為でもあります。

しかし、「人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらん」と言うような事態が、今のロシアで起きています。何を語ったって天下は変わらないとは言うものの、今のロシアの体制を変えるのはウクライナによる敗戦ではなく、国民の蜂起しかないのも事実でしょう。

殴られたり蹴られたり痛い目に合うかもしれませんが、ロシア国内で何千、何万の人々が戦争反対のための蜂起が一斉に起きれば、体制維持が困難になるわけですが、一斉蜂起でないと痛い目に合うだけです。

それと、国連改革は必須でしょう。賢い人が集まって、なぜ、あんなに愚かで無法な集団を作って無為に時間と金を使っているのかが不思議です。大国の無法を止められないのであれば、大国の無法を止められる団体を作るべきだと思うものの、一人で考えても天下は変わらないので「貧しき人を富める人となす」ことでも考えたほうがよさそうです。