日本の法律と世界標準
日本にいると日本の法律が「法律」という認識のすべてになります。しかし、世界には、それぞれの法律があって、日本の法律と違うことも少なくないようです。
たとえば、最近話題の「放送法」をめぐる話題の始まりは、平成3(1993)年、テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良の日本民間放送連盟(民放連)会合での発言に端を発しています。
発言内容はともかくとして、郵政省の局長がことと次第によっては電波を止める可能性にも言及しています。とはいえ、時の郵政大臣は「一つの番組ではなく、局全体の放送内容で決める」と言っています。
立教大学の砂川先生によると、「第二次安倍政権が長期化することによってメディア規制が顕著になった」と指摘しています。2016年には当時の高市大臣は「放送内容によっては電波を止める」と国会で答弁しているが、彼女が無所属で当選した1993年当時には椿事件に対して「放送内容が気に食わないからと言って、その都度証人喚問したら放送が委縮してしまう」と言っていました。
砂川先生は「権力がメディアを自在に操るようになった国は滅びていくことは歴史が証明している」と述べています。アメリカでは放送における政治的公平性を担保する「公平原則」をレーガンが廃止し、その結果トランプによってアメリカは2分されることとなってしまいました。それは、明らかに色のついたメディアが、それぞれ支持する権力者におもねる報道をするようになったからです。
安倍政権下でも放送法の撤廃が議論されていたようで、もし、放送法が撤廃されていたら政権をヨイショする放送局は権力からのお目こぼしがあって、政権を批判する放送局は総務大臣から行政指導を受け、最悪の場合は、電波を止められることとなるわけです。
「報道の自由」という調査があって民主党時代の鳩山政権時(2010年)には11位だったのが、安倍政権下(2016年)では72位まで下がっています。たった6年で61位も下がっています。
国連から調査があり、そこで指摘されたのは「メディアは独立した第三者機関から規制を受けるべきで政府から規制されてはいけない」とのことでした。ちなみにG7の中では日本だけが政府によって放送局を規制しているそうです。政府が放送局を規制しているのは、有名どころとして中国、ロシア、北朝鮮、イランなどの名前が出てきますが、それらの国と日本国政府はお仲間ということです。
ジョンソン元イギリス首相が、議会でウソをついたということで、調査結果によっては議員の資格を失うこともあるようですが、翻って日本では、安倍元首相が「桜を見る会」で118回も嘘の答弁をしていたのに平然としていられたのも、日本の法律ならではのことのようです。
海外と同じでなければならないというわけでは全くありませんが、海外との比較によって正当性のないことは、きっと、国民の知らないところで権力者にとってオイシイところなのでしょう。そうした根源的なことを野党は追及すべきなのに、高市大臣の罷免要求で盛り上がっているようでは、政府ともども、お里が知れている感は否めません。