歴史の中の掘り出し物は「骨董」的価値か
森鴎外は1907(明治40)年には、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長になっている。1915年に陸軍次官に対して辞意を表明し、1916年から「渋江抽斎」の連載を始める。
以前にも触れたように、森鴎外が「渋江抽斎」に関心を持ったのは「武鑑」の収集を始めたところ渋江抽斎の印が押された武鑑が多いことに関心を持ち、「渋江抽斎」を調べることにしたとのこと。そこから小説を書くに至っている。
評価は賛否がある。頭が良すぎるがために「ともすれば小さなくだらない物の興味に支配される」「あれだけの力を注いだ先生の意を解しかねる」「その物の本來の價値を高めはしない」「肝心の抽斎像は、さほど彫りの深いものとはいえない」「無用の人を傳したと云ひ、これを老人が骨董を掘り出すようなもの」という酷評がある。
かたや「近代日本文学の最高峰」「古今一流の大文章」という絶賛もある。
いずれが真実というわけではなく、どちらも真実なのだと思います。感じ方の問題でしかないわけで、読んだ人間が決めればいいだけのことと思います。
森鴎外たる大作家が、熱意を傾注して相当な調査のもとに書き上げたのには、森鴎外としての動機があったわけで、それを感得することには意義があると思います。
似た人材の発掘に「志筑忠雄」という人があって、江戸の翻訳をしながらニュートンの物理学を学習している。「重力」「真空」「遠心力」などの言葉を作っている。のちにケンペルの《日本誌》の一章を翻訳し〈鎖国論〉と題したことで、「鎖国」という言葉も作った。
ほとんど歴史に名を残していないような人々の、膨大な情熱と努力によって文明が開化できている。とはいえ、歴史に名を残していないということは所詮「本来的な価値」が無かったのかは、よくわからない。
逆に、昨今のテレビなどで、しょっちゅうテレビなどに登場するお笑い芸人が「本来的な価値」があったとも思えない。坂本龍馬や土方歳三は、いまでは当たり前に有名だけれど、一説によれば司馬遼太郎の小説に登場するまでは、さほど有名ではなかったという人もいる。
「篤姫」は、NHK大河に出る前には、知っている人なんてほとんどいなかった。「有名無名」には、現代では経済的価値がついてまわるけれど、歴史上の「有名無名」には、なにをもって「価値」というかは、その人となりに文献や小説で触れる人が決めることでしかない。
当然のことであるけれど、庶民の喜怒哀楽は明治になるまでほとんど伝えられてはいないけれど、社会はわずかな英雄によって作られるのではなく、圧倒的多数を占める庶民によって作られている。