決断と責任
戦国時代の殿様が決断して、その指図通りにやったとしても、ことが成就しなければ切腹することで責任を取るのが武士の世界だったようです。
我が親父は大東亜戦争で中国からシンガポール(昭南)からビルマ(今のミャンマー)に行ったそうです。モールメンと言うところで、ここは後に「戦場にかける橋」というイギリスの映画になった戦場のことで、日本では「泰緬鉄道」として知る人は知る、知らない人は全く知らない場所です。
そこにインパール作戦で敗残してきた部隊の隊長なのでしょう、少佐だったか中佐だったか細かな話を忘れてしまいましたが、中尉だった我が親父に上官から「親告」を受けたことがあったと聞きました。そして、その夜、ピストルで自決をしたのだそうです。
人の上に立つということは配下に対して命令や指示をする「権限」を付与されているわけですが、その裏付けには権限に見合う「責任」がついているわけです。大枚もらってうまいものを食って、いざとなると一切責任を取らないのであるなら日本の政治家のようなものです。
責任の取り方は様々あって、自決などはいまの時代の話ではありませんが、企業人なら会社を辞めるとか降格されるとか子会社へ出されるなどがありそうです。もっと厳しい場合は「馘首」つまり「免職」されることもあります。これも責任の取り方です。
世の中にはさしたる権限も与えられていないのに責任だけを取らされるような理不尽だって往々にしてあるわけで、その逆に「決断」するだけの「権力」は手にするものの責任を取らないケースも多々あります。責任をとらないケースで目立つのは政治家ですかね。強大な権限を持っているにもかかわらず、責任を取りたがらないのは、政治家と言う職業が、よほどおいしいからなのでしょう。
世間では「リーダーシップ」などとよく言います。リーダーシップと検索すると「資質」とか「スキル」、「指導力」「統率力」等々、リーダー論を展開する記事がありますが、あまり「責任の取り方」について論じてはいないようです。
人の上に立つということは、配下の人たちの人生に関わることでもあり、そのことだけにおいても「責任」が発生しています。その上に、組織から求められている目標の達成をマネジメントできるかがリーダーの腕の見せ所になるわけで、「泣いて馬謖を斬る」こともリーダーの務めとなることもあるでしょう。
我が親父の例でいうなら、参謀本部にいて無体な作戦を起案した幕僚たちや参謀、将官たちの多くは戦後の人生を全うしています。親父に親告して自決することになった左官が敗残することになったインパール作戦を強行した牟田口廉也司令官は昭和41年まで存命でした。