禁書

人が集まると、何らかの統制が必要になる。その統制には型があって「強制型」「功利型」「規範型」と分類することができる。

強制型」は非依法性根拠に基づく「賞と罰」によって統制する。卑近な例ではプーチン、習近平、金正恩などの独裁国家。形態は天皇が国家を統制するということになっていたけれど戦前の日本も、特高警察や憲兵などによって思想統制されていた。

功利型」は、「報酬と昇進」によって統制する、そこいらの会社などが該当する。組織にとって役に立つなら「報酬と昇進」が約束されるが、役に立たなければ「解雇・放逐」される。希望退職は、組織からすれば役立たずを放逐するために希望者を募る形をとるが、それは解雇が難しい法的規制を回避するための手段でしかない。実際には、やめてほしくない人材も相当数逃げ出すらしい。双方ともに「功利的」な関係で結ばれている。

規範型」というと、一般には「宗教」。イランや中東世界は宗教を前提に国家が運営されているようだ。教理や経典や教祖のカリスマ的洗脳によって「迷える羊」たちを束縛し、意のままに操る。「規範」というと、何やら道徳的な匂いがするが、それは普遍的な道徳であることは少なく、組織強靭のための規範であることがほとんど。

ということで、権力側は様々な手を使って、組織運営を簡便なものにするために配下を、ある時は強制で、ある時は報酬で、ある時は道徳や教義で組織的コントロールをしてきたし、これからもしていく。

NHKでサリンジャーの「The Catcher in the Rye」がアメリカでは禁書だと初めて聞いた。そこで禁書を調べてみると、「去年1年間に“禁書”となった本は実に1835作品」とあった。2023年の記事だから2022年中に1835冊が禁書指定を受けていることになる。「アンネの日記」も禁書指定になったようだ。

ノーベル文学賞作家トニ・モリソンが1970年に発表した作品「青い眼がほしい」も禁書になった。教育委員の選挙で“禁書”に賛成する候補を当選させようと、保守派の政治団体が大量に選挙資金を投じているとの指摘もある。

2021年から2023年にかけるアメリカ合衆国での禁書運動が展開されたようだ。背景には「教育の左傾化禁止」「教育を守る親たち」といった団体に裕福な保守層が資金提供していることにある。

トランプの登場によるものかは不明であるが、自由の国であるはずのアメリカにおいて保守・リベラルの価値観分離が鮮明になりつつある。

日本国憲法は憲法第21条第2項前段で検閲の禁止を定めている。税関検査、教科用図書検定、および青少年保護育成条例による「有害図書」の指定なども厳密には「検閲」にあたるが、現状においては、基本的に合憲性が認められていると考えて間違いはない。

2023年、広島市の平和教育副教材から漫画「はだしのゲン」が削除された。削除しようとする側にも、削除するべきではないとする側にも、等しく意見があるけれど、そうした意見があることを伝えたうえで、児童に考えさせるべきで、存在すらを否定すれば考える機会も失われてしまう。

日本の歴史の中で「穢多」「非人」が存在したことは事実であるが、タブーだからと言って触れなくすれば、「穢多」「非人」という仕組みを社会が持っていた事実すらなかったことにできるわけでもない。