「枕草子」が描いた世界《其の17》

紫式部は、清少納言の「枕草子」を熟読していた節が、散見される。

屋の上は、ただおしなべて白きに、あやしきしづの屋も雪にみな面隠しして、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。
 白銀などを葺きたるやうなるに、水晶の滝などいはましやうにて、長く、短く、ことさらにかけわたしたると見えて、いふにもあまりてめでたきに、下簾もかけぬ車の、簾をいと高うあげたれば、奥までさし入りたる月に、薄色、白き、紅梅など、七つ八つばかり着たるうへに、濃き衣のいとあざやかなる、つやなど月にはえて、をかしう見ゆる、かたはらに、葡萄染の固紋の指貫、白き衣どもあまた、山吹、くれなゐなど着こぼして、直衣のいと白き、紐を解きたればぬぎ垂れられ、いみじうこぼれ出でたり。

屋根の上は、真っ白になっていて、粗末な家の屋根でさえ雪に覆われて有明の月にくまなく照らされとてもすてきだ。白銀をまいたようで水晶の滝とでも言いたくなるようなツララが長いのや短いのがかけ渡されていて、言葉にできないほどの美しさだ。

下簾をかけない牛車が、御簾を高く上げていて、月の明かりが牛車の中まで入り込んでいて、淡い色の布を7、8枚も重ねた上に濃い色のあざやかな光沢が月光に映えて素晴らしい。

その傍らに葡萄染に固紋の指貫、白の単衣を何枚かと、山吹、紅色の上に、直衣の白い紐をほどいていて着崩れさせていて、その下の衣がこぼれ出ている。

固紋(かたもん)とは、綾織物の模様を糸を浮かさず、横糸に縦糸を絡めてかたく締めて織り出したもの
葡萄染(えびぞめ)とは、赤味がかったやや薄い紫色で、ブドウの実の色を指す
直衣(のうし)とは、平安時代以降の天皇や摂家、大臣などの公卿の平常服
指貫(ゆびぬき)は、古代から中世にかけて男性が着用していた袴。袴の裾口にひもを通し、着用する際に裾をくくって足首に結ぶもの

このあたりの情景の美しさは、「大鏡」で、藤原行成の父・藤原義孝が女房の部屋に立ち寄ってから、夜中に1人で帰るのを人を付けさせてみたときの記述にも似て、法華経を誦じながら世尊時に立ち寄るシーンの美しさにも例えることができそうだ。

平安時代の人たちの色彩感覚は、今とは大きく異なっていて、まさに「美」に関する文化程度が極値を迎えていたと言えそうだ。

藤原義孝は、天延2年(974年)当時流行した疱瘡にかかり、兄・挙賢と同日に21歳の若さで没した。同じ日の朝に挙賢が、夕方に義孝が死亡したとされる。ここにもエピソードがあるが「枕草子」から逸脱してしまうのでやめておく。

Follow me!