世界一礼儀正しいが世界一イジワルな日本人
大阪大学社会経済研究所はあるゲームを用いて実験をした。ルールは簡単で、2人に10ドル渡す。双方が出した合計金額の1.5倍額を等分にもらえる。
つまり、双方が10ドルずつ出せば、最大の30ドルとなり、その半分が15ドルとなる。誰が考えても、それが双方にとっての最大利益になる。逆に1人が0ドルで相手が10ドル出せば、見返りは15ドルで1人の分け前は7.5ドルになるが、1ドルも出していない人は17.5ドルになり、片や10ドル出したほうは7.5ドルになってしまう。
こういう実験で、日本人のほうがアメリカ人に比べて明らかに意地悪な行動を選びやすいということが分かった。
相手の利益を減らす選択をした割合はアメリカの12%に対して、日本の63%だった。
ここから分かることは、自分の得の可能性よりも、相手に損失を与えようとする傾向が強いということが見えてくる。
結論
日本の社会では、みんなが仲良く協力的に事に当たっているのではなく、協力しないと罰を受けると分かっているから協力せざるを得ない社会だということ
実験から見えてくることは、自分の利益が最優先なのではなく、相手の不幸を最大化しようとする性向がダントツな民族であるということ。
ユダヤ人の伝承で、魔法使いが男に「願い事を1つかなえてやる」ただし「あなたの大嫌いな奴に願い事の倍をかなえる」と言ったら、男は「片方の目をつぶしてくれ」と願った。
悪意とは、「自分が得をするためではなく、相手が得をしないように邪魔をすること」と定義することができるとのこと。つまり、人間に「悪意」があることによって、他者から悪意を受けないように配慮することから副産物として「公平性」が推進されてきた。
しかも、罰を与えることが悪意に基づくにもかかわらず、美徳であると思い込んでいる場合がある。「炎上」などという集団的な盛り上がりも「悪意」に基づく「天誅」である。
日本人の礼儀正しさや親切さは社会から村八分にあわないための同調圧力に起因するものであると言える。間違いを犯した人間を引きずり下ろそうという行為は、悪意によるもので、「あたかもの正義の執行」という快感によって増長される。
ようするに、「礼儀正しく悪意に満ちる」ことは日本人の気質にマッチしているということのようだ。