「操作される現実」と言う本があった

図書館から借りてきましたが、ざっと目を通してみて全く興味が持てなかったので返却しました。

現実」とは何か?

空想、理想などに対して 事実として目の前にあらわれているものごとや状態。また、現在、実際に存在していること」と書かれています。ネットにあげられている文字や動画そのものは「現実」ですが、中身は架空のことでもアップできるわけです。

架空だからと言ってすべてが「フェイク」と言うわけではないのですが、ニュースの体裁をとった、あるいはニュースそのものが取材に基づかなかったりする記事の真実性は乏しいものが多いです。

ロシアや中国、あるいは戦前の日本では、権力側が都合の良いニュースや「大本営発表」的な誇大妄想的なニュースを通じて国民を洗脳することは、往々にしてあることでしょう。

戦後日本は「民主主義」を標榜していますが、記者クラブがあったりテレビで政権に都合の悪い論評をすると政府からテレビ局にクレームが入るようなことが事実とするなら「不正義が横行するレベルの民主主義」と言えそうです。

また、こんな話もありました。グーグルの検索エンジンに取り込まれるための基本ルールを犯していると検索エンジンにかからなくなるのだそうですが、そうなると、ネットの世界においては「不存在」になってしまいます。

「存在を消される」と言うのも、ある種の「操作される現実」になります。

小学校のころの同級生と会って、その昔の話をすると同じ出来事を違う風に記憶していたり、片方が覚えていることを、もう片方は覚えていないなんてことは珍しくありません。違う風に記憶しているということはあり得ることで、脳の中で記憶を編集しているという記事を見たことがありますが、確かに編集しているだろうことは納得ができます。

つまり、その昔に「現実」であったことは歳月の中で忘却されたり編集されたりするとなると、これは「現実」と言うよりは「観念」の領域になってくるわけです。

架空のことであれ、操作されたことであれ、夢想したことであれ、「現実と思えること」が「現実」であるというだけのことでしかないわけです。なぜなら、所詮、人間は一片の「思惟」でしかないからです。