「30年後の同窓会」と言う映画

原題は「Last Flag Flying」。直訳すると「最後の軍旗掲揚」というらしい。それがなぜ、30年後の同窓会になるのかは不明。

第一次世界大戦に従軍した人の述懐で「柔らかいものを踏むと、それは死体か内蔵だった」というような文を読んだことがある。南方で戦っていた親父の話では、新兵がくると夜に空襲があって、朝になるとそこいらの木に人間の皮やら腸が散乱し、昼になると腐敗するので穴を掘って埋めたと言っていた。

どこの戦争だって同じようなもの。ベトナムの夏の最高気温は40度くらいだとか。こんな暑いところで死ねばすぐに腐敗するし怪我をすれば感染症にかかる。

マラリアにも掛かりそうだし、生水を飲めば熱帯性の伝染病にかかる。

そのような戦場で死地をくぐり抜けてきたという絆(戦友)が、どのようなものかはわからない。「FLYING」は「掲揚」かもしれないけれど、戦死者への掲揚は映画のように三角にたたむのが正式なのかも。

主人公の息子は自分が死んだら渡してほしいとして書いた手紙を友人に託し、それを主人公が受け取る。

「この手紙を読んでいるということは僕が死んだんだ」と語りかけ、「軍服で埋葬してほしい」「母の隣に埋葬してほしい」と手紙に書いてあった。

主人公は息子をアーリントン墓地に埋葬することを拒否して亡き妻の眠る墓地に埋葬することを選んだ。私服で埋葬するつもりだったがサイズが合わないだろうということで軍服にした。

仲間も軍服を着て葬儀に参列しアメリカ国旗を正式に三角にたたんで主人公に渡す。

なにが言いたい映画だったのか?

30年間、音信不通だったのだから友情をことさら語ろうというわけではない。主人公がなぜ、息子の遺体を引き取るにあたって30年前の戦友を訪ねて同行を求めたのかの説明もない。

しかし、人間の「思い」なんて、言葉や文字にならないことのほうが多い。戦友は「一緒にバーをやろう」と申し出る。主人公が「応」とするかは不明だけれど、戦場という異様な場所で共有する体験から生まれる「」は、戦場という体験のない人間にはわからない繋がりができている。

つまらないテレビや映画に比べるとよっぽどマシな内容だけれど、どうしても見なければならないような感動は、今のところ沸き起こっているわけでもない。そんなところが、かえっていいのかもしれない。

夏目漱石に言わせれば、すべての人生は「道草」のようなものだし。

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