タリム盆地のミイラ

数百体のミイラがタリム盆地で見つかっている。彼らは、ヨーロッパからやってきたインド・ヨーロッパ語族の人々と考えられていたが、DNA分析の結果、この集団はタリム盆地に元から住んでいた人々で、周辺地域のほかの集団からは遺伝的に隔離されていたことが明らかになった。

ミイラは続々と発見されており、最も古いもので紀元前2100年頃、最も新しいものは紀元前500年頃のものと測定されている。

「チェルチェン人」は、中国西部、新疆ウイグル自治区、タクラマカン砂漠のキエモ(チェルチェン)の町近くで発見されたミイラです。 チェルチェン人は「紀元前1000年頃に死亡した」。

年齢は3,000歳の男性で、「白人の特徴を持つ6フィート6インチの巨人」、髪は「赤茶色」です。

「灰色の斑点があり、高い頬骨を縁取り」、「わし骨」、「長い鼻、豊かな唇、そして生姜のようなひげ」、その顔には「黄色と紫の模様」の入れ墨があり、「赤いツイルのチュニックとタータンチェックのレギンス」を着ています。

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この人々は、青銅器時代にこの地域一帯に住んでいた独立の集団だったことが明らかとなり、今ではそれが専門家の間で定説になっている。

科学者たちは、彼らが1万年前にはほぼ姿を消した古代北ユーラシア人の生き残りで、西アジアから中央アジアへ移り住んだ古代狩猟採集民族の比較的小さな集団であると結論付けた。

なぜ、ミイラになったのかというと、タリム盆地はタクラマカン砂漠に位置しており、乾燥と塩分で遺体が腐敗しなかったことから自然にミイラになったようだ。

特に興味深いのは、死者の多くが青い眼や金髪など西洋的な顔立ちをしており、ヨーロッパ風の衣服と装飾的なジュエリーを身につけていること。

数千年という長い間、遺伝的に孤立した土着集団だったとして、そのもとは古代北ユーラシア人だとして、どうして孤立した、このように土着したのか。砂漠に土着しても生活ができるわけでもなく、かといって紀元前2100年頃、最も新しいものは紀元前500年という1600年もの間に人々が生活できるような環境であったなら遺体がミイラ化するはずもないしで、なんとなく納得しかねる。

1600年といえば、日本では古墳時代から現代くらいまでの時間になる。その間、民族が孤立していたとも考えにくいし、しかも死体がミイラになるような乾燥した土地で生活ができたとも考えにくい。

井上靖の小説に「楼蘭」というのがあったけれど、この楼蘭もタリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市とされている。

楼蘭王国の王都としての楼蘭の位置は未だ諸説入り乱れる分野とされ、邪馬台国と似たような状況。

楼蘭と呼ばれる都市、またその名を持つ国家がいつ、どのようにして成立したのかは定かではない。古くは新石器時代から居住が始まったことが考古学的に確認されており、いわゆる「楼蘭の美女」として知られるミイラは、纏っていた衣服の炭素年代測定によって紀元前19世紀頃の人物であると推定されている
(wikipedia「楼蘭」)

文献史料に楼蘭の名が現れるのは紀元前2世紀だそうで、「楼蘭の美女」は、その時点で1700歳ということになる。

いずれは科学が、もっと詳細な状況を分析してくれるであろうけれど、そこに住み、そこで生活した人々の思いなどは復元できるわけではない。