荘子を考える:逍遥遊《其の02》
北冥有魚、其名曰鯤:北冥に魚あり、其の名を鯤という
鯤之大、不知其幾千里也:鯤の大きさ、其の幾千里かを知らず
化而為鳥、其名為鵬:化して鳥となるや、其の名を鵬という
鯤という巨大な魚が、鵬という巨大な鳥になって南を目指して飛んでいく。大鵬が飛び立つときは翼が大空いっぱいに広がった雲(垂天の雲のごとし)のようである。そして南へと飛んでいく。
荘子による逍遥遊の世界は「鵬鯤」の話から始まる。「鯤」とは本来は魚の卵のことであり、そのような極小のものが極大な鳥になるという奇想天外な想像は、人間の思惟と想像力のみすぼらしさを揶揄している。
大きな船を浮かべるのには十分な深さが必要なように、鵬のような大きな鳥が飛び上がるためには9万里も上空に舞い上がることで十分な風を得られ、青々とした大空を背負って何物にも遮られず南を目指すことができる。
天之蒼蒼其正色邪:天の蒼蒼たるは其れ正色なるか
其遠而無所至極邪:其れ遠くして至極するところなればか
其視下也、亦若是則已矣:其の下を視るや、亦た是くのごとくならんのみ
大空の青々とした色は本当の色なのだろうか。それとも限りがないほど遠く隔たっているから青く見えるのか。鵬が9万里の上空から下を見れば、やはりそのように地球は青々と見えているのに違いない と荘子は想像し、高き超越によることで全ては蒼一色となることを言っている。
遥か天空から地球を見ると「青い」と言うのは、1961年のガガーリンまで待たなければならなかった。
天と地を同一視し、大いなる世界を何物にも妨げられることなく闊歩できる偉大な人間のことを「鵬鯤」で比喩をしている。
地上には欲があり無気力があり妥協と自慰と耽溺がある。地上には規則や規律があり規範による価値があり、その規則・規律・規範からなされる威嚇がある。
そうしたしがらみから解放(超越)されれば9万里の高みから地上を睥睨できるのに、僅かな達成をもって喜びとする人間の小ささを嘆いている。
自己がなにより自己であるためには、奔放闊達な精神の高揚が必要であることを示唆している。
- 人間を地上に縛り付ける一切のものからの超越を示唆している。
- ニーチェの超人は人間的なるものを超克し偶像と価値の桎梏を破壊して生命の渾沌をたる灼熱を求める。
- 荘子の超越では、自己が何よりも自己であること。自由闊達なる人間精神の高揚を求めている。