荘子を考える:斉物論《其の12》
道行之而成:道は之を行きて成り
物謂之而然:物は之を謂いて然りとす
惡乎然:悪(いず)くにか然りとするや
然於然:然るを然りとす
惡乎不然:悪くにか然らずとするや
不然於不然:然らざるを然らずとす
道は人が歩くことからできるものであるし、事物はそれを名付けてその名で呼ばれることから事物としての概念を持つようになる。
そうだとするものをそうだとし、そうでないものをそうでないとする。なにをもってそうであるとし、なにをもってそうでないとするかといえば、単なる主観でしか無い。しかし、通用するようになると、それがそれになる。通用しなければそれがそれでなくなる。
物事には元々そうであるべきものが備わっていて、それを人々が主観で捉えるうちに共通する概念が生まれる。
それを、「然り」といえば「然らず」というものが現れ、それを「よい」といえば「よくない」というものが現れる。
「然り」を否定し「然らず」を否定する。となると「然らずは無し」になるので肯定になる。このような一切肯定することを「道理の真相」というのが荘子の世界観になる。
其分也成也:其の分かるるは成るなり
其成也毀也:其の成るは毀わるるなり
凡物無成與毀:凡そ物は、成ると毀わるると無く
復通為一:復た通じて一たり
一方で分離分散していくことは他方では完成を意味する。しかし、分離分散するということは壊れることでもある。
完成するために分離していく。分離分派していくことは壊れていくことを意味するが、完成も破壊も一方にとっての他方でしか無い。
つまり、その意味において等しく一つのことであることをわきまえ、自分の判断を加えないことを「平常心」という。
道元は曹洞宗というような宗派を作ることを否定し法華経を経典とし、宗派とするべきではなく「仏教」とするだけで良いとしたことにも似ている。