仙人

芥川龍之介の小説で「杜子春」と「仙人」に、仙人の話が出てくる。

杜子春

杜子春は、お金もなくぼーっとしていたら仙人が出てきて「ここ掘れ」というところを掘ったら金銀がザクザク出てきて、それでいきなり金持ちになったら、多くの人が集まるようになって毎日宴会を開いていた。

そうしたらお金が尽きて再び貧乏になる。そして、お金もなくぼーっとしていたら再び仙人が出てきて「ここ掘れ」というところを掘ったら金銀がザクザク出てきて、それでいきなり金持ちになり、多くの人が集まるようになって毎日宴会を開いていた。

そうしたらお金が尽きて再び貧乏になる。そして、お金もなくぼーっとしていたら仙人が出てきて、またお金が欲しいのかというと、もうお金は要らないから仙人になりたいという。

そこで仙人が山深いところに連れて行き、「自分はいまから出かけるがここで一人でじっとしていろ」「ただし、妖怪が入れ代わり立ち代わり出てきて、さまざまな幻覚を与えるであろうが、一切、声を出してはいけない」「声を出したら殺されるぞ」と言って仙人がいなくなる。

途端に、入れ代わり立ち代わり魔物が出てきて、あれやこれやの幻覚を与えるものの杜子春は声を出さない。そこで登場するのが閻魔大王で、いまでは馬にさせられていた父と母を呼び出す。杜子春の目の前で馬になった父と母を打ちのめした。

死にかけになった馬になった母が杜子春に「大王が何と言おうがお前が幸せになるのが一番結構なこと」という。それを聞いた杜子春が「お母さん」と声を出してしまったとたんに、元のボーッとしていた場所に座っていた。

そこに仙人がきて、「お前はもう金持ちに名なりたくないだろう。そして仙人もなりたくないだろう。これからどうする」と聞くと「正直に暮らしていきます」と答える。そこで仙人は、山奥に持っていた家を杜子春にやる。そこで話は終わる。

仙人

この話は、口入屋に来た男が仙人になりたいという。しょうがないから近くの医者に相談したら、そこの奥さんが「うちに寄越しなさい」という。奥さんは男に20年間無給で下働きをすれば仙人になれるという。

男は一生懸命下働きを無休でやり、20年経ったので奥さんに「仙人にして欲しい」と申し出ると、奥さんは庭の木に登るように言う。男は庭の木に登ると奥さんは「右手を放せ」「次に左手を放せ」というと、男は木から落ちるどころか「一人前の仙人になれました」といって空へ登っていく。

まとめ

どちらも仙人になりたがる男が登場する。「杜子春」は、結局は仙人はなれなかった。金持ちとか仙人のようなことではなく、普通に生きることが幸福なのだというサトシになっている。仙人を「芸人」とか「スター」とか「プロ野球の選手」と言い換えてもいい。

金持ちになれば、たくさんの人が言い寄ってくる。毎日でも宴会はできるし綺麗な女性を集めることもできるけれど、お金が無くなれば誰も彼もが見向きもしなくなる。自民党の青年部に入れば、踊り子がもろ肌脱いでくれるそうだけれど議員落選すれば踊り子は踊ってはくれない。

お金や権力に人が集まるのであって、その人に集まっているわけではない。

トミー・リー・ジョーンズがでるBOSSの宣伝で、同窓会に集まったところで同級生から「なにやっているの」と聞かれて「運転手やっている」と答えると、同級生が見下した雰囲気で「うらやましいね」「日本の物流を支えているんだ」のようなことをいう。

しかし、普通の仕事を真面目にやることに生きる意味があると言える。なぜなら、人生は勝った負けた、儲けた損したで埋め尽くすようにはできていないのだから。

昔、チベット辺りの山奥で山羊の世話をしている少年に「君の幸せは何?」と聞いたら、少年は「春になると、このあたりが緑色になるんだよ」とはにかんで答えていた。

「仙人」は、奥さんが仙人だったということなのだろう。20年間無給で一生懸命働く男が「無欲」であることを試し、それで仙人にしてあげたという話。

じつは、この世の中で「無欲」であるということ自体が仙人であるともいえる。

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