AIとの付き合い方を考えてみる
ChatGPTが登場することで、AIがぐっと身近になってきました。グーグルの翻訳では、いささかトンチンカな日本語でしたが、ChatGPTの日本語は普通に読める日本語になっている点がすごいです。
何かに説明されていましたが、まだ日本語は弱いのだそうで、それは参照する文章の量が少ないからだそうです。ちなみに、日本語で問い合わせてエラーになるような場合は、グーグル翻訳にして英語で問い合わせると、結構、スムーズに回答してきます。
回答によると、まことしやかな大嘘も散見されますが、ともかく言語解析の技術は素晴らしいと感心しています。
日本の大学では、ChatGPTの使用に対してネガティブなようです。しかし、考えてみるとワープロを使うと文字を書かなくなるし、漢字を覚えなくなるから文書作成は手書きにしろ みたいな話にも通じると思います。
膨大な量の文字データからパターンを生成し問いに対する答えを瞬時に生成してくる技術は、将棋や碁のソフトと同様で、改良を積み重ねていくことでさらに的確性が上がっていくことは想像に難くありません。
しかし、それは「知性」ではない。PRESIDENT Onlineの2023年3月22日の記事に「クロネコキューブ」という会社の代表である岡田さんの最終結論では、人間の仕事は「改善」「創造」「交渉」しかなくなくなるとしていますが、「改善」も「交渉」もAIが担えると思います。
人工知能の方式が進化することで「創造」も可能になっていくと思います。例えば、碁や将棋で、過去の寄付にない打ち手で有効な展開に持ち込める手を見つけることは、人間には「創造」できない有効な手段と言えるでしょう。それ的な有効策をAIが提示してくることは十分になり得ると思います。
文字ベースでいうならチューリング・テストはかろうじてクリアしていると言えるところまで来た感じです。しかし、チューリングが考えていたであろう人工知能とは、全く別物でしかない気がします。チューリングは、「子供の知能」から始めて「自律的」に自己研鑽して知能を発展させていくような人工知能を考えていたように思います。
チューリングは晩年に「多細胞生物の個体発生における形態形成に関する研究」に着目していました。なぜ、かれが「数理生物学」の研究をしていたのかというと、脳の構造、あるいは知性の発生を「チューリング不安定性」から答えを導こうとしていたのではないかと思っています。
膨大な知識から「知性もどき」を生み出すのではなく、思考パターンを複層化させ、重ね合わせることからイメージを創出させるようなことができるのであれば「シンギュラリティ」に近づくのではないでしょうか。いまのままのAIが「シンギュラリティ」に到達するとは思えません。ブレークスルーが必要です。
医師も弁護士も政治家も官僚も学校の先生もAIの方が優れた成果を出す時代が、そこまで来ています。所詮、人間の考えることなど知れたものだと気づかせてくれるのがAIのような気がします。