大鏡:其03《帝紀-清和天皇》

第56代 清和天皇(850-880)

清和天皇は文徳天皇の第4皇子であり、母は藤原明子であった。藤原良房の息女である。清和天皇は文徳天皇が即位した5日後に生まれている。文徳天皇が急逝したため9歳で即位し、外祖父の藤原良房が摂政となって政権が藤原氏に帰した。

  • 藤原明子は良房の娘。母は嵯峨天皇の皇女・源潔姫。
    父の良房が
    「年経れば 齢は老いぬ しかはあれど
    をし見れば 物思ひもなし」と詠じて、明子を桜花とみた話が『古今集』によって伝わっている。
    後年、藤原定子が女官に色紙を渡して古歌を書くようにと言われたとき、清少納言は
    「年経れば 齢は老いぬ しかはあれど
    をし見れば 物思ひもなし」と書いた。

この天皇を「水尾の帝」と呼び、源氏武者の一族は清和天皇の子孫である。生母の明子は23歳で清和天皇を生み皇太后宮になった。染殿の院に住んでいたので「染殿の后」と呼ぶ。護持僧は遣唐留学生として唐に渡って学んだあらたかな僧であったが、明子にとりついた物怪を払い除くことができなかった。

  • 第1皇子は惟喬親王であったが母が紀氏であったため後ろ盾が弱く、藤原良房の権勢を恐れて立太子できなかった。
    惟喬親王については一言も触れていないが、生母が藤原一門ではなかったことで起きていた悲劇を想起させるように、大鏡の著者は計算している。

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