大鏡:其09《帝紀-村上天皇》

第62代 村上天皇(926-967)

醍醐天皇の第14皇子。生母は朱雀院と同じ藤原隠子。19歳で立太子。21歳で即位する。

隠子は19歳で皇太子保明親王を生んだが親王は2歳で立太子し21歳で父醍醐天皇に先立つ。朱雀院が生まれたとき、隠子は39歳で皇后になった。村上天皇が生まれたときは42歳。

保明親王が寵愛したのが親王の乳子で歌人の大輔の君であった。保明親王のことは忌み慎んで誰も口に出さなかったが、太輔の君という女官が、

わびぬれば 今はとものを 思えども 心ににぬは 涙なりけり
《嘆ききったから何も思うまいと決めたのに心と違って涙は正直だ》

保明親王の七十七日の法事が済んで寺から帰る日にも、

今はとて 山を出づる ほととぎす いずれの里に 鳴かんとすらん
《山を降りるちょうどその時ホトトギスが鳴いた、これからどこの里で鳴こうとするのだろう》

皇后隠子は、皇太子に先立たれ、朱雀院が生まれはするものの、ご自身も皇后になるという嘆きや喜びが入り混じっていた。

  • 醍醐天皇も村上天皇も治世が素晴らしかったにも関わらず、そのことには触れず「大鏡」では、隠子と大輔の君の話に終始している。
  • 藤原隠子が女御として醍醐天皇に入内するとき、醍醐天皇の父である宇多天皇が反対したと藤原忠平の子の師輔が日記に書いている。
  • このことは菅原道真を醍醐天皇と藤原忠平とで左遷させたことに宇多天皇は大いに立腹していたからであるとされている。
  • 宇多天皇は菅原道真を重用していたが、藤原時平が謀略により道真を左遷させようとしたことを止めようとした。
  • 藤原隠子を「五条后」という。朱雀天皇・村上天皇の2代の国母となり、藤原摂関政治の基盤を固めた。

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