大鏡:其08《帝紀-朱雀天皇》

第61代 朱雀天皇(923-952)

醍醐天皇の第11皇子。生母は藤原基経の4女の藤原隠子。3歳で立太子する。8歳で即位する。15歳で元服し、16年の治世の後、24歳で退位した。30歳で薨去した。

  • 地方では平将門、藤原純友が乱を起こしている。
  • 母の隠子は醍醐天皇の後宮に入って朱雀天皇、村上天皇を生んでいる。
  • 隠子は藤原時平の妹。
  • 朱雀天皇は病弱で子に恵まれず弟の村上天皇に譲位し太上天皇となる。
  • 平将門は藤原忠平の家人となるが詳細は不明。
  • 「大鏡」の帝紀では最も短い。

母后穏子は怨霊を恐れて、寛明親王を3歳になるまで幾重にも張られた几帳の中で育てたという。政治は朱雀天皇の伯父の忠平が摂関として取り仕切った。

平将門は935年に関東で乱を起こし、940年に藤原秀郷によって討たれる。941年には藤原純友も討たれ、ようやく終息した。

その他には、富士山が噴火した。

平将門

730年に創建された神田明神に平将門が1309年に奉祀され、太田道灌、北条氏綱や徳川家康などが崇敬した。1616(元和2)年、江戸城の表鬼門守護にあたる現在の地に遷座され、江戸総鎮守とされた。

平将門は、桓武天皇から5代目の子孫。朱雀天皇に対抗して新皇と称するようになるが、940(天慶3)年、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧され、首が京都にさらされた。3日後に、その首が大手町まで飛んできて、そこに首塚がある。

その後、天変地異や疫病がはやり、将門の祟りとされ霊を神田明神に奉祀した。明治になり明治天皇が参拝するに及び、皇室に対しての謀反人である将門は祭神から外され境内摂社に遷された。

1984(昭和59)年に本社祭神に復帰している。

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