9月26日は「台風の日」

1954(昭和29)年、洞爺丸台風。死者1,761人。

1958(昭和33)年、狩野川台風。死者1,269人。

1959(昭和34)年、伊勢湾台風。死者5,098人。

この3つが9月26日に猛威を奮ったのだそうです。

母親の親友が洞爺丸で亡くなったと言っていました。その時間はwikiによれば22時45分頃のことのようです。1,314人のうち1,155人が死亡か行方不明となったそうで生存は159人。

ちょうど沈没したころに、寝ていた我が母を起こすような気配が2度ほどあって、翌朝になって、その気配がした時刻に洞爺丸が沈没したと知って、親友がお別れに来たんだと言っていました。

その母もとっくに冥界入りしているので、その友達が誰で、どういう付き合いだったのかなど、今となっては知ることもできません。

そんな洞爺丸ですが三国連太郎と左幸子が出演した「飢餓海峡」は、洞爺丸の事故に強盗を組み合わせて作ったのだと思います。左幸子が三国連太郎を訪ねなければ殺されることもなかったのに、それが人生なのでしょう。

「飢餓海峡」では昭和22年と言う設定で、津軽海峡を飢餓海峡とした背景には敗戦後の日本を知らなければ、文字が伝えようとする深い意味を知ることはできそうにありません。

「青函連絡船」は東北本線の終点の青森駅から船に乗り換えるのですが、1等車両の客が船に乗り終わってから2等、3等が乗船しました。記憶では青森から函館まで5時間かかったと思います。

津軽半島を過ぎたあたりから船が上下に揺れ出します。日によってはイルカが並走しました。やおら函館ドックが見えてきて船旅が終わります。函館から札幌までも5時間かかった記憶があります。

今では地下のトンネルですが、函館北斗から新青森までを新幹線でも57分かかります。

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