教養 de お役立ち
芥川龍之介の「トロッコ」から連想したこと

芥川龍之介の「トロッコ」では、「小田原熱海間間に軽便鉄道敷設の工事が始まったのは良平8つの年だった」という書きだし方始まります。 1896(明治29)年には、人車鉄道という人間が押す鉄道があったそうです。乗客は「上等」「 […]

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ロシア軍が「飢餓」を戦争手段としていた

1581(天正9)年、羽柴(豊臣)秀吉は鳥取城の兵糧攻めを敢行した。鳥取城の周りに築城し、近在の米を通常より高値が買い占め、さらに農民を城に追い込んで兵糧を早く尽きさせた。 そのうち食べるものが無くなると共食い(カニバリ […]

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「小野毛人」の墓誌

飛鳥浄御原宮に天の下治す天皇の御朝で、太政官、兼刑部大卿、大錦上の位を任ぜられる。 小野毛人朝臣の墓。歳次丁丑年十二月上旬に営造し即ち葬る。 飛鳥浄御原宮で天下を治める天皇(天武天皇)の朝廷で、太政官、刑部大卿を兼職し、 […]

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巻第24 小野篁被流隠岐国時読和歌語 第四十五

今昔、小野篁と云ふ人有けり。 事有て、隠岐国に流されける時、「船に乗て出立つ」とて、京に知たる人の許に、此く読て遣ける。   わたのはら やそしまかけて こぎ出ぬと ひとにはつげよ あまのつりふね と。 明石と云ふ所に行 […]

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「西洋紀聞」における新井白石とシドッチ

260年の間、人口100万人の大都市だった江戸(東京)の地下にトンネルを掘れば墓地に当たることは少なくない。その結果、景気が良くなると人骨の収蔵が増えるという。 文京区小日向1丁目23番地:丸ノ内線茗荷谷のそば。宗門改役 […]

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支倉常長の手紙

支倉常長は1571年に生まれて1622年に亡くなっています。伊達政宗の命により600石取りとなる。文禄・慶長の役で朝鮮に渡海したという記録がある。 1609年にロドリゴの一行が台風により上総御宿に座礁し、家康が船を造って […]

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種痘と洋学と松本良順

種痘はジェンナーが1796年以発見し1798年に発表したとされています。日本に伝わったのは1849(嘉衛2)年で、大阪では緒方洪庵が「除痘館」を開いています。 およそ、半世紀遅れています。 江戸では1858(安政5)年出 […]

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後藤新平から見る明治という時代

後藤新平は1857(安政4)年に生まれて 1929(昭和4)年に亡くなっています。台湾総督府民政長官。南満州鉄道(満鉄)初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長などを歴任しています。 東京市長時 […]

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七十路を「ななそじ」と読む

いままで「70代が見る景色」としていましたが、風情を重んじて「七十路」と改めました。 あっけなく 七十路となる 青畳 この俳句は「岡崎えい」による。「えい」は明治26年生まれ。雙葉女学校に通うも中退した模様。銀座2丁目で […]

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運命の分かれ道《オー・ヘンリーの場合》

イヴォンヌとケンカしたダヴィドは村を出てパリを目指した。 左の道 15キロほど歩くとT字路となりダヴィドは迷った後、左へ行くことにした。 30分ほど歩くとぬかるみにはまって難儀している馬車が見えたので手伝ってやったら紳士 […]

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